野菜と自然との暮らし
- 執筆者 久米可奈子
- 所 属阿南市地域おこし協力隊
2019/08/28
「ご近所さんから野菜をたくさんもらうよ」はというのはよく知られている田舎あるある。
本当によく野菜をいただく。いっぱい採れたからどうぞといただいた帰りに、別の人におなじ野菜を大量にもらったりすることも。「どうぞ」されたものを他の人にも「どうぞ」すると、「じゃあこれをどうぞ」とお返しにも野菜をもらったりして、本当に野菜が豊富な毎日。
ただ、畑にないときはない。悪い天気が続いたり、大きな台風が何度もくるとみんな採れなくて困っているときもあるから、野菜があるかないかは自然のとおりなんだなーと感じる。
スーパーや産直市でも、いつも通りに欠かさず同じものというわけではなく旬のものが置かれているから農業をしていなくてもよく分かる。
都会で暮らしていた頃に精進料理にはまったことが、後に移住を考え始めるきっかけの1つになった。
精進料理とは、肉や魚などの動物性のものを使用しない仏教の教えに基づいた修行僧の食事で、日本においては「和食」の起源でもある。鎌倉時代の禅宗では食べることや食事を作ることも「修行」であるとし、食事作法がうまれ、調理法が発展した。また、食事を「自然の恵や命あるものをいただくこと」として捉えて、それぞれに感謝することを大切にしている。
旬の野菜を丁寧に扱う、ということを精進料理で習うと今日手に取っている野菜はどのように育ったのかを気にするようになった。
どんな土地でどんな風に太陽の光や雨を浴びて成長したんだろうかと生産地を見て、気候や風土を想像して、野菜をみる。のどかな自然に思いを馳せるうちに私も自然が身近にある暮らしがしたいなぁと田舎で生活することを意識するようになり、仕事を辞めて慣れ親しんだ町を離れる決意をするまでに至った。
都会でマンション暮らしをしていてももちろん四季の移ろいは感じるけれど、やはり肌で感じるものの差ははるかに大きい。
山の中では毎日少しずつ少しずつ変化していて、それを繰り返していると季節が変わっている。季節が変わるというのは、気温による変動だけではなくて、陽が昇るときの眩しさや、山や海や川の色、風の匂い、鳥や虫の声、雨上がりの景色、夕暮れの雄大さなどあげるとキリがないほどのものが姿を変えていて、同じものがない。
年に何度も息を飲むような景色に出くわすし、それは突然だけど何気ない日常に起こる。
田舎での生活は、空気がきれいで景色が美しくて、食べ物がおいしいというざっくりしたイメージだったけれど、もっともっと細部まで五感が心地よく刺激される日々である。
これだけは毎日ここで暮らしているからこそ感じられるもの。田舎に住んでいるものの特権は特別なものではなくて、SNSに投稿することもないような言葉では表せない小さな幸せの積み重ねかもしれない。