家 まち 暮らし、カコ 今 ミライ ⑥想いを受け継ぐ、未来へ

顔の写真
執筆者 池田なつ記
所 属株式会社 桐朋

2021/03/22

 新潟上越からこんにちは、ソーシャルデザイナーの池田なつ記です!

 

新潟について

 

 恒例〈〈〈上越マメチシキ〉〉〉はお休みしまして、今回いよいよシリーズ最終回につき、さくっと本題に参りましょう!

 

前回までのあらすじ

 この『家 まち 暮らし、カコ 今 ミライ』は全6本立てでお送りしてきたシリーズ記事です。前回までのお話はこちら。

 

私のお友達
天才・オオハシあらわる
いい家って何だろう〜冬の日〜
冬の日(後編)〜翌日、まさかの
衝撃の1dayレストラン
 
 お時間のある方はご一読いただけたら嬉しいです!

 

明かされゆく、館の来し方

 2020年9月のハラルさんの1dayレストランは、上越市柿崎区にある古民家を会場に開催されました。その古民家というのが、“ただならぬ古民家” だったのです。

 

部屋の中1

入室して一目で度肝を抜かれました(+口+)

 

客室

 

日記

 

 こちらの本棚に残されていた日記から、元の所有者さんは東京のご出身だったらしいことが判りました。そこへ、ハラルの接客担当・マサさんが・・・

 

マサさん 「今この建物をレンタルスペースとして管理・貸し出しをされているのは、妙高市で宿を経営されている方だそうなんです」 

高橋さん 「へえ〜、どんな方なんだろう!」

マサさん 「その方から聞いたお話ですが、元の所有者だった方は夫婦で音楽がご趣味で、生前はこの辺りの地域の皆さんを招いて、よくコンサートを開いていらしたそうなんです」

私 「ああ確かに、天井が高くて生演奏にぴったり! なるほど〜、ご自宅だけど、地域の皆さんに向けてオープンな場にしてらしたんですね」

高橋さん 「だとすると・・・なつきさん、私、週明けに会社で調べてみる!」
 
!(☆∀☆)!
 
 盛り上がって参りました〜!! 新潟県内情報にかけて、新潟日報社さんほどの深さ・太さで網羅している会社は他にありません。高橋さんてば、金棒持った鬼ですか!?(←コラ)
 
「何か判ったら教えてください! 」

と薄い一重目蓋をカッと見開く私、

「もちろん!」

と輝く笑顔の高橋さん、頷きあうふたり、そして我々一行は

「めちゃめちゃ楽しかった、美味しかった〜〜」

と、ハラルさんの1dayレストランを後にしたのでした。

 

 柿崎での半日があまりに楽しく、この晩、私はこんなSNS投稿をしました。ただの感想文(笑)。

 

SNS投稿

投稿後まもなく高橋さんからもコメントが(笑)。

 

 するとこの3時間後、吉田エリさんから

「もしや、今日のお出掛け先はハラルさんでしたか?」

とメッセージが。
 
エリさん 「実は今回のハラルさんの会場は、久保田建築さんが建てられたお宅なんです。久保田社長の思い入れある建物で、以前、外観だけ見学させてもらったことがあって」

 

 えっ・・・あの久保田さん!!? つい数日前、そう、冬の日さんで偶然お目に掛かった建築会社の社長さんです(③いい家って何だろう)。

 

エリさん 「4年前のことです。家主さんはもうお亡くなりになっていて、相続人の方は関東在住。空き家になりどんどん老朽化が進んでいる様子を眺めながら、社長の “家” に対する想いを聞き、うちのリフォームはすべて久保田社長にお任せしようと決めた、私にとっても思い出深い建物です」

 

リノベーション町家2

高田の雁木町家をリノベした吉田邸

 

エリさん 「中も拝見してみたいと思っていたので、いつか私も機会をみつけてお邪魔してみたいです」 

 

 ただただ驚きました。エリさんと高橋さんに直接の繋がりは無く、たまたまそれぞれにお誘いいただいて出掛けた先で起きた出来事が、まさかこんな風に結び付くとは! 今日いったい何回びっくりするの私、と胸を押さえつつ、この物語は終わ・・・らないのです! 全然まだ!!(笑)

 

判明! No Gate の「中の人」!!

 ここで久保田さんのお名前が出てくるなんて、どういう偶然!? と驚きつつ、久保田社長への突撃インタビューをこの時、決意。 
 同時に、エリさんの「中を見てみたい」という言葉を受けて

「レンタルスペースなんだから、自分たちで借りちゃえばイイんじゃない!?」 

というアイデアも浮かび、すぐさま連絡先を検索してみることにしました。

「んーと。レンタルスペース、No、Gate」

と、この時(ようやく)、私のシナプスに電流が走ったのです。 

「『No Gate』? ・・・ゲート(門)が・・・ノー(無)?」
 
!(◦口◦)!

 

ホテル無門

 

私 「No Gate って、ホテル無門さんかーーー!!!」
 
 ホテル無門──お隣・妙高市のリゾートエリア、妙高高原にあるコージィなホテルです。

 無門さんてね、ビーフシチューがね、すっごく、す〜〜ごく美味しいんですよ! 過去にその取材を受けていただいたことがあったのです。
 
 ググッてみたら〜、ほれビンゴ!

 

nogate

 

 ホテル無門のオーナー・新野さんによる、No Gate の Googleレビューがこちらです。笑

 

 「和風モダン建築がとても素敵です。メインフロアは音楽ホールになっていて 演奏者には、とても居心地が良く演奏するのにとても良いと思います。」 

 

 げに! 本ッ当にあの建物は素晴らしかった! よっしゃぁ〜久保田さんと、新野さんにも取材決定!! と、薄い一重目蓋をカッと見開く私(再)。 
 これにてようやく(笑)、9月21日(日・祝)完! そしてこの2日後の週明け火曜日には、約束通りに高橋さんからの情報が届いたのでした。

 

かの古民家の情報、続々。

 なんと高橋さんが探し出してくださった過去の記事は4件もありました。そして、ご連絡くださったあらましが・・・
 
 高橋さん 「あの物件に以前住んでいらしたのは、佐藤実さん。役場* にお勤めで、妻の晴子さんは高校の音楽の先生だったそうです」 

「お二人とも音楽が大好きで、よく演奏者を招いて、地域の人もご一緒されてホームコンサートを開いていたらしいです」
「あの家は大島村** にあった古民家を移築したのが、道路拡幅に引っかかり、また移築したものだとか」

* 旧 柿崎町役場(現 柿崎区総合事務所)
** 現 上越市大島区
 

 な〜るほど〜! これでもう、元の所有者さんのことはおよそ判りました。が、やはり私も自分の目で記事をしっかり読んでみたかったため、掲載日を教えていただいて図書館へ。
 で、・・・あの・・・個人的に、飛び上がるほど驚いたのが、チェリストのロストロポーヴィチが来たことがあったという情報です・・・(((震)))

 

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ
 世界文化賞、ドイツ勲功十字賞、イギリスの最高位勲爵士、フランスのレジオンドヌール勲章(コマンドール)、スペインのカタロニア国際賞、アメリカの大統領自由勲章、スウェーデン極北賞、ロイヤル・フィルハーモニー協会ゴールド・メダル、レーニン賞、人権同盟の年間賞、高松宮殿下記念世界文化賞など、30ヶ国を超える国々から130以上もの賞を授与され、音楽家としておそらく史上最も多くの勲章を受けているといわれる。このほか各国で40以上の名誉学位を与えられた。〈Wikipediaより抜粋〉
 

 佐藤さん夫妻・・・ロストロポーヴィチを自宅に呼べるって、一体どんな交友関係よ!!? どひいぃ〜〜ギャボーン…!(のだめ風) 
 
・・・すみません取り乱しました、本題に戻ります。
 
 移築についてのより詳しい情報も、続々判明。
 
●大島から柿崎へ移築された時すでに、築後100年(!)の家屋だった。

●佐藤さん夫妻はその移築した家を会場として、15年にわたりホームコンサートを開催されてきた。

●1995年、国道(8号線ですね)の拡幅工事に伴い2度目の移築をすることになり、ホームコンサートは一時休止へ。逆算すると、最初の移築は1980年頃。2度の移築に伴い改築を経てはいますが、現在は築後約140年ということになるんですね! そして、

●1996年、現在の場所へ移築工事完了。6月にホームコンサートが復活
 
と、高橋さんが見付けてくださった記事はこの ’96年6月のものが最新で最後でした。
 
 佐藤さんご夫妻はどうやら同い年のご夫婦だったようで、もし今ご存命なら100歳超。とすると、おふたりそれぞれ、お亡くなりになったのはおそらく2000年頃か、2010年頃か・・・だったのでしょう(高橋さんリサーチでも没年は不明)。

 

 さて、高橋さんからご連絡のあった前後で、私も久保田建築・久保田社長と No Gate(ホテル無門)の新野さんそれぞれにインタビュー依頼のご連絡をしていたのですが、なんとお二方ともすぐ2日後の木曜日にお話をお伺いできることになりました!
 ぐんぐん回るよ、歯車が!

 

「住み継いでいく家」──久保田建築・久保田社長

 9月24日(木)AM、まずは久保田建築さんを訪ねました。

 

久保田建築

 

 つい前週、冬の日・石黒さんのお宅見学の際にいろいろと解説くださったことへのお礼、そして久保田建築さん発行の『住みつぼ衆』の内容がとても興味深く、素晴らしかったという感想などをお伝えしました。

 

 久保田社長 「『住みつぼ衆』は昭和48年(1973年)にうちを法人化した後から始めたんです。当時は新築住宅がどんどん増加して、とにかく忙しい時代だったんですよ」

「でも家というのは年月が経てば必ずどこかしら修繕が必要になるし、生活の変化につれて不便なところが出てきたりもするもの。それを踏まえて建てなければ、“住み継いでいける家” にはならない。ただ、当時はとにかく新築ラッシュで、世の中にはまあ様々な建築会社や工法があってね・・・」 

「そこで『このままではいけない』と始めたのが『住みつぼ衆』。言ってしまえば久保田建築の広報誌なんだけれども、お客様・協力会社・従業員が “みんなで作る媒体” を方針として、“住み継いでいく家” のための情報をまとめていて、以来ずっと、お客様・協力会社に向けて配布を続けてます」

 

住みつぼ衆

 

 「③良い家って何だろう」でも書きましたが、こちら、単純に読み物としても面白いですし、家、ひいては生き方をも考えるとても良い教材になる素晴らしい情報誌だと感じました。ぜひとも、関係者以外の人々にも読めるようにしていただければと切に願います・・・!(久保田建築さ〜ん! WebサイトないしSNSでの公開も、どうぞご検討ください!)

 

 そして本題! 旧佐藤邸についての話題を切り出すと・・・

 

「大島から柿崎への最初の移築は、別の建築屋さんだったんです。うちが関わるようになったのは1986年頃からだったかな。メンテナンスの相談をいただくようになって、国道拡幅工事の際の移築もうちでやらせてもらいました。あの家にはね、『奏々舎(そうそうしゃ)』という名前があったんですよ」 

 

 わ、ぴったりな名前! あの館に関する古い新聞記事も読んだんですが、転居の要請に来た国の役人さんも「半ば文化財に近い建物だから」と移築を勧めてきたというエピソードが書かれていました。補償費も、転居新築された他のお宅の倍出されたと。

 

久保田社長

 

「それだけ、誰が見ても価値の分かる “良い家” だったということでしょうね。良いものは残していかないとね。“住み継いでいく家” というのを、作り手としては物凄く考えるんですよ。建てたきり手入れもせず、たった20年か30年で古びてきたらただ壊す、というのではねぇ・・・」

 

移築工事パネル

 

 お話をしながら、移築工事の際の写真パネルを見せていただけました。おお〜、あの館だ・・・と眺めていたその時、久保田社長の口から不意の 爆 弾 投 下 が。

 

「この移築の際の図面は大橋さんに引いてもらったんですよ」

 

 ふぇっ・・・大は・・・!!???

 

大橋さん

 

 ま た し て も 大 橋 さ ン゛ァァ〜〜〜!!

 

 何なんでしょう、この、やられた感! ぐぬぅ・・・なぜか悔しい(笑)、でももういっぺん大きい声で繰り返しておきます、

 

『こんつらジサマ』とか言っちゃってすみませんでしたァー!!! 

 

 いや、もう、・・・敬服の一言です。

 

「美しい家」ホテル無門・オーナー新野さん

 さてお次はビュンと移動して妙高高原、ホテル無門へ!
 
 お久しぶりの無門さん、せっかくなら絶対あのシチューが食べたい! と、遅めのランチを予約しておいたのでした。インタビュー前の(たまには)贅沢な腹ごしらえ、うふふ♪♪

 

ホテル無門のシチュー

最 & 高

 

 そしてこちらがホテル無門のオーナーで、No Gate の運営をされている新野 伸哉さんです!↓

 

新野さん

「え、撮るの今?」の笑顔

 

私 「No Gate って、無門さんか!と気付いた時はびっくりしました。どういういきさつで、あそこをレンタルスペースに?」

 

新野さん 「去年(2019年)、不動産業をやってる友人から話が来たんですよ。名前は『無門』をひねって No Gate にしたんですけど、No Gate はその不動産屋の友人と、飲食の仕事をしてる友人と自分の3人で運営してます」 

 

私 「あの館が売りに出されていたんですか。」

 

新野さん 「売りに出されそうになってたんです。元々の所有者さん(佐藤実さん〜晴子さん)が亡くなった後に息子さんが売却されて、今、あの家の所有者は糸魚川の方なんですよ。でも気に入って買ったはいいけど何年もずっと手が付けられないままだったらしくて、『ちゃんと使ってくれる人に売ろうかな・・・』と。その相談を受けてたのが不動産屋の友人で、『こういう物件が売りに出されそうなんだけど、見てみないか』と僕のところに連絡が来た、っていう」

 

私 「なるほど〜、ご縁ですねぇ。」

 

新野さん 「それで実際、見せてもらったら・・・最初に売りに出された時すでに、値打ちのある骨董品なんかはあらかた運び出されてたようなんですよね。それでもまだ、家の中には立派な品がたくさん残されていて」

 

骨董品など

 

骨董品など2

No Gate 新野さん の Instagram(@rs.nogate)より

 

新野さん 「でもさすがにもう捨てるしかないような生活用品とか、ガラクタみたいなものもそのまま放置された状態だったのと、何年も空き家になってたので、中は埃だらけ、蜘蛛の巣だらけだったんです。外も、庭木も草もひどい薮になっていて、とてもすぐには使える状態じゃなかったんですけど、でもそういうのを差し引いても『この家は凄いぞ』となって。

 だから最初は買っちゃうつもりで、『一棟貸しの宿にしたら良いんじゃないか』なんて話をしながら、何度も何度もあの家まで通って、草刈りをして、片付けて、掃除して・・・と、そうこうしてるうちに感染症拡大が起きちゃったんですよね」

 

古民家外観

 

古民家改装

No Gate 新野さん の Instagram(@rs.nogate)より

 

新野さん 「空き家にしておくのは絶対もったいない。でも感染症の色々で『今すぐ買っちゃって大丈夫か?』という迷いも出てきてしまって。そしたら糸魚川の所有者さんが、僕らが片付けて綺麗になった様子を見て『やっぱり手放すのは惜しくなってきた』と(笑)、思わぬ形で話がまとまったんですよ。なので今は一棟まるごと僕らが借り受けて、時間貸しの施設として運営してる、という感じです」

私 「なるほどー。新野さんはあの家のどこに惹かれたんですか?」

 

新野さん 「いやもう、全部。美しい家ですよね。家は使わないとどんどん傷んでしまうし、本当にあのまま朽ちさせるのは絶対もったいないと思いました。これ、片付けの最中に見付けた昔の資料もあるんですよ」

 

大橋さんの図面

 

私 「ああっ、大橋さんの図面!」

 

新野さん 「あんな良い家を造ってもらえるなら、もし自分が家や何かを建てる時には絶対その建築士さんにお願いしたいです」

 

私 「ですよねえ。なかなか強烈なキャラクターの方ですけど(笑)、素晴らしいお仕事をされる建築士さんだと思います。」

 

 実はこの後日、大橋さんから嬉しい報せをいただきました。なんと、大橋さんの建築(築40年のご自宅)が日本建築家協会(JIA)の『25年建築選』に登録されることが決定したそうです。

 

〜JIA 25年賞・JIA 25年建築選〜
 「25年以上の長きにわたり、建築の存在価値を発揮し、美しく維持され、地域社会に貢献してきた建築」を登録・顕彰します。建築が未来に向けて生き続けていくために、多様化する社会の中で建築が果たすべき役割を確認するとともに、次世代につながる建築のあり方を提示することが目的です。〈JIA webサイトより〉

 

JIA

 

 JIA は建築を通じて社会貢献・福祉向上を目指す全国規模の公益社団法人。この「25年建築賞」「25年建築選」は、世の中が家を “消費物” として扱うスクラップ&ビルドに傾いていった時代に対して危機意識を持ち、警鐘を鳴らす意味も込めて設立された顕彰なのだそうです。
 
 そもそも建ててから25年以上経っていないと評価の対象になれない顕彰ですから、駆け出しの若手建築家ではエントリーもできないという・・・「継続は力」とは正にこのこと。いやもう、力を超えて、「宝」!! 

 

 さてそして、久保田さん・新野さんから教えていただいた情報でもうひとつ判ったのが、あの日記の書き手はどうやら妻の晴子さん(元・高校の音楽教諭)だったらしいこと。東京の音楽大学のご出身だったそうです。

 

新野さん 「夏前頃から No Gate として運営を始めたんですけど、僕らの主催で、6月にウッドベースとハンドパンのミュージシャンを招いてライブをやったんです。地域の皆さんへのご挨拶も兼ねて」

 

古民家でライブ

No Gate 新野さん の Instagram(@rs.nogate)より

 

「佐藤さんがよくコンサートをされていた頃にその影響を受けて、あの地域には音楽を趣味にされてる方が今もたくさんいらっしゃるみたいなんですよね。僕らのライブに来ていただけた方たちから『久々にここで本物の音楽を聴けて良かった、嬉しかった』と、すごく喜んでいただけました」

 

 ・・・このエピソードしかり、ハラルさんの1dayレストランしかり。一時は久保田さんが肩を落とされたほどの荒れようだった館を、新野さんたち “次世代” が蘇らせたことで、地域の人々を動かし、人々の心までをも動かしたのです。
 
 余談ですが、あの館が最初に大島から移築された1980年頃は、ちょうど新野さんや私が生まれた頃だったりします(新野さんが1979年の秋、私が80年の早生まれの同世代)。
 
 日本中がいけいけドンドンで浮き足立っていたバブル前夜の1980年、「古いものは壊せ、新しいものが良いものだ」というスクラップ&ビルドの時代にあって、「自分たちは大島の古民家を受け継ぐ」と決めた佐藤さん夫妻がいらした。
 
 そしてその40年後(2度目の移築からは四半世紀)の2020年、今度は新野さんたちによって、あの館は息を吹き返したのです。

 

家 まち 暮らし、カコ 今 ミライ ── 想いを受け継ぐ、未来へ

 これから4戸に1戸、はたまた3戸に1戸が空き家になる!? と言われている今、空き家の活用方法は必ずしも「居住」のみではなくなっていくのは間違いないでしょう。

 むしろ、人口に対して明らかに過剰となる空き家が全て活用されるなどというのは、おそらく夢物語。解体されるものは解体され、解体された家はすべて、ゴミになります。その環境負荷は測り知れません。

 

リンク〜空き家

 

 一方どんな用途であれ、人の息吹のある建築は生き続けます。現に、築後140年のあの館(元 奏々舎〜現 No Gate)は幾人もの人々の手を経て、今も生きている。
 
 2020年9月のこの一連の出来事を通じて、「住み継がれる家」となり得る「家」は、その佇まいひとつで「人に感動を与える家」なんだなあ・・・と、私は胸がいっぱいになりました。そして、たくさんのことを考えさせられました。
 
 建築雑誌『住む。』の「景観をつくる最小単位である家」というフレーズが、何度も何度も思い出されます。
 
 今この時代を担い、次世代へと受け渡す役目をも担っている私たちが、これからどんな家に暮らし、景観を築き、残していくのか・・・。

 

map_japan_niigata_joetsu

 

 以上、長きにわたりお付き合いくださった皆さま、大変ありがとうございました! 本シリーズは以上で完結。

 次回は上越の山奥から、またまた素敵な情報をお届けします! お楽しみに♪

 

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