世界一から4年たってみて思うこと。
- 執筆者 小川知香
- 所 属一般社団法人いなかパイプ
2021/11/05
facebookを開くと、◯年前の今日の投稿が出てきたりすることがあります。
今日は2021年10月9日。facebookを見ると、4年前の今日(2017年10月9日)は、かつて私が世界一になった日だったいうことを知らせてくれました。
2017年ラフティング世界大会の表彰式
2017年は日本で初めて開催されたレースラフティングの世界選手権で、私はこの大会に日本の女子代表として出場し、優勝しました。私自身、6度目の世界大会でした。
さらに面白いのは、10年前の今日(2011年10月9日)も私はコスタリカという国で世界一を目指して戦っていたらしいということ。
この時は目標には届かず、総合2位でした。ここから世界一になるまでに6年かかったのだなあ。ということを思い出した今日。
2011年コスタリカの世界大会。H2Hという種目のゴール直後。
「次のいなかマガジン何書こうかなあ」
と、ちょうど考えていたところだったので、ラフティングで世界に挑戦した10年前と、実際に世界一になった4年前ということを記念して、私が世界一に向かい、そして世界一になった経験について振り返ってみようと思います。
世界一になったら変わるんじゃないか
世界一になったらどうなる?
それまで頑張ってきたことは全部報われて、やってきて良かった。と心から思えるし、そこから自分の人生が変わるかも知れない。そんなことを想像したこともありました。
でも、世界一になってもそんないきなり変わりません。(これはあくまでも私の場合で、もちろん、感じ方・考え方は人それぞれだと思います。)
そもそも私が、世界一を目指してみたいと思ったのは、単純に世界一に挑戦することが面白そうだったから、でした。
初めての世界大会はコスタリカ。当時、女子の代表だったチームが、コスタリカでの世界大会に向けてメンバーを募集していました。
世界一という響きと、コスタリカという未知の世界でのラフティングにとにかくワクワクして、挑戦してみたいと思いました。
そしてチームに加入、いざ世界一を目指して日々練習をしていく中で、最初は「面白そうだから」でやっていることだったはずなんですが、そのうち、自分なりのやる目的というか、大義名分というか、そういうようなものを考え出したりします。
たとえば、
「世界一になれたら、もっと自分に自信がつくんじゃないか」
とか、
「チームの空気が良くなかったり、関係性がうまくいかないこともあるけど、それも世界一になれたら、解決するんじゃないか」
とか。
たぶん、最初は世界一になってみたい、くらいでスタートできていたのですが、やっていく過程では、思うようにいかないことやしんどいこともあるので、自分なりに、それでも頑張る理由みたいなものが必要になっていたのかも知れません。
でも、私なりに振り返ってみて思うのは、世界一になると何かが変わるのではなくて、世界一を目指すことで、自分のできることだったり、考え方だったり、色んな「何か」が少しずつ変わっていくのだということです。
勝つことがいいこととは限らない
世界一になったからと言って、何かがいきなり大きく変わることはなさそうだな。。ということは、実は世界一になる前からうっすらと思い始めていました。
そして、「結果にこだわることは本当にいいことなのか?」という疑問が、自分の中で渦巻いていた時もありました。
結果を求めると、やることは決まってくるし、自分や誰かの感情がどうであれ、「やらねばならぬ」という状況も少なからず出てきます。それに、「勝ち」があれば「負け」もある。
勝つことにこだわるって、本当に幸せなことなのか。
結局私は、ものすごくざっくりいうと、「世界一=ハッピーなこと」のような気がしていて、だから「世界一になりたい!」と思っていたのだと思います。
それなのに、いつしか、世界一になること、勝ちにこだわることが必ずしも幸せなことではないかも知れない。。と感じ始め、モヤモヤしている自分がいました。
でも、当たり前ですが、結果は結果でしかありません。良い、悪いはそれぞれの捉え方によっても変わります。勝つことがいいことだと思っていたのは、私の勝手な思い込みでもありました。
「世界一=いいこと」みたいな構図に疑問を持ち、でも、なったことがなければそれが正解かどうかも結局わからない。それならばと思い、
「とりあえず、世界一になろう」
と思い始めたあたりから、私の中で、ちゃんと世界一に狙いが定まったというか、腹が決まったというか、「じゃあ、何しますか」というところを、ちゃんと考えて過ごすようになった気がします。
世界一になってみてどうだったか
そんな中で世界一になってみて、でも世界はいきなり変わるわけでもなく。。などと言うことをつらつらと書いてきましたが、でも結果的には世界一になれて良かったことはありました。
具体的には2つ。1つは、周りの人がとても喜んでくれたこと。
私は、勝つことが本当にいいことなのか? と疑問を持ちながら漕いでいたくらいなので、実際にゴールして優勝が確定したきもこんなもんか。。と、なんだか冷めた気分で、正直感動は少なかったです。でも、周りの応援してくれた人たちはとても喜んでくれました。
みんなが抱き合って泣いて喜んでいたり、
「一生の思い出ができた。ありがとう。」
と言ってくれる人までいて、自分が出した結果によって、そんな思いを得られる人がいるのだというのが、恥ずかしながら想定外だったというか、そんなことを想像する心の余裕すらなくなっていたのかも知れません。
でも、そんな周りの方の姿によって、勝ったことの価値を私自身がもらえたような気がしています。
もう1つは、誰かの評価とかではなく、「1つの結果」と言う形で自分のやってきたことに合格と言ってもらえたような気がする。このことに対する嬉しさがあります。
勝っても負けても、挑戦した過程には色んな財産となる経験がありますが、そういうものとは別の、ただの「結果」だからこそ、ここまで取り組んできたことが、自分や、誰かの評価に惑わされない「ひとまずの正解」と評価してもらえたように思います。
これをやったら、こうなるんだ。ということを1つ経験として学び、しかも自分の人生の中ではかなりのエネルギーを注いでやってみたチャレンジだったので、ちゃんと区切りがつけられてホッとしました。
そして人生はまだまだ続く
4年という月日が経っての振り返りだったので、曖昧な表現も多々ありましたが、そんなこんなで世界一にチャレンジして、実際に世界一になった話。当然ですが、私の人生ここでグランドフィナーレな訳でもなく、まだまだ続きます。
そんな私の今の楽しみは、もっと川くだりがうまくなること。
実際、世界一という結果は得られたのですが、私自身、川を降っていると、まだまだ、下手くそだなと思うことばかり。謙遜でもなんでもなく本当に。いや、逆に世界一になれたからこそ、自分の下手さを認められるようになったのかも知れません。笑
だから今度は、勝ち負けではなく、単純に
「前できなかったことができた!」
とか、
「前より上手くなった気がする!」
というような、自分自身の満足感を大切に!漕ぐことにチャレンジしていきたいと思っています。
でもこれ、なかなかゴールが見えない。。。もしかしたら世界一を目指すことより大変かも知れませんが、人生はまだまだ長いです。
周りの先輩方をみてみても、幸いパドリングは年齢以上に経験によって上達することもたくさんありそうなので、これからも上達することを楽しみとして漕ぎ続けていきたいと思います。
チェコ・プラハの人工コース。色んな人が色んなスタイルで漕いでいます。