私らしい生き方図鑑 第3回集落の財産「藤堂明」さんご夫妻のライフスタイル

2016/04/05

 

 2月、暖冬の今年。大崎上島では、なんと畑にフキノトウが咲き!!早くも春の訪れを感じさせています。

 

 藤堂明さん 広島県 大崎上島

 

 そんな中、シェアハウスの庭にいると、いつもヒョコッとあらわれて「お元気ですか!!」っと直立敬礼をくれる藤堂明(とうどうあきら)さん。なんと88歳!!

   今でも急な勾配が多い山尻の集落の斜面にある柑橘畑へ元気に奥様と農業をされていますが、かつては大崎上島の岸本造船という「造船会社」で職長をされていました。大崎上島に造船会社は最盛期には25社あったといわれており、英国紙のロンドンタイムズに広告を出すほど賑わいがあり、そして今も、この島の主産業となっています。

  明さんも、造船会社でその一端を担い、定年されてからは、奥さんの好江さんと共に農業をしています。今は農業暦70年来の師匠である奥さんに頭が上がらないそうです。そんな明さんの師匠である妻・好江さんも86歳。子育てをしながら柑橘農業に70年、集落で藤堂家の山と家庭を守ってきました。

 

藤堂さん宅 広島県 大崎上島

 

 実は、夫が造船会社の職工や船会社の船員として海運業に従事し、妻が家庭を守りながら柑橘栽培をするというのは昔からある大崎上島の豊かなライフスタイルでした。このライフスタイルにも瀬戸内の島ならではの海と山の豊かな関係性をみることができます。

 藤堂明さんの出身地は、大崎上島の隣の島、「村上海賊の娘」で有名になった村上水軍の本拠地、愛媛県今治市大三島町。戦時中は旧帝国空軍のエリートパイロットの卵として鹿児島に行き、特攻隊として有名な鹿児島予科練航空隊に所属していたそうです。その後、終戦を迎え18歳の時に故郷である大三島に帰省しました。帰省の際に広島市内を通った際、原子爆弾により焼け野原になっていた広島市内の光景を今でも鮮明に覚えているそうです。

 

 そして好江さんは実はかつて日本領であったフィリピンで生まれ終戦直前戦局が悪化する中、命からがら家族を失いながらも単身ご両親の故郷であった大崎上島・山尻集落に疎開したそうです。

 そんな二人の出会いは、終戦後に親戚から勧められてた「お見合い」だったそうです。しかし、お見合いのために親戚に連れていかれたのはかつて島にあった映画館。もちろん、映画の内容は全く入っていかなかったそう。

 運命に導かれるように結婚した二人。集落に親戚以外の身寄りのいない中、たくましくも支え合い3人のお子さんと夫婦生活を送ったご自宅は、二人の職場でもあるレモン畑に囲まれた中に立っています。

 

 

山尻シェアハウス 広島県 大崎上島

 

 実は山尻シェアハウスからは直線距離で50mほどのご近所の距離に住まれていてたまに「ハクショーーン」っと集落にこだまする大音量のくしゃみが届き、ふと窓から藤堂さんのご自宅をみると二人仲良く収穫した柑橘の選別をしている姿に微笑ましくなります。

  撮影させていただいたこの日は、近所に住む息子さんがお孫ちゃんを連れてきてくれていました。明さんからすると曽孫(ひまご)にあたるそうで現在、孫が12人、9人のひ孫がいるそうです。居間のテレビの前には、お孫さんやひ孫さんの写真がずらり、嬉しそうに一人一人説明をしてくれました。

 現在、農業は息子の和幸さんが先祖代々の土地での農業を受け継ごうと仕事の合間をぬっては訪れ、息子さんが運転する軽トラックに好江さんは助手席。明さんは荷台に(集落のみんなに直立敬礼をしながら)揺られて一緒に日々畑に上がっています。明さんに息子さんのことを伺うと…「息子はたいしたもんじゃ!あの(急斜面)の畑をやるっていうんじゃけん」と誇らしげに語ってくれました。

 

息子の和幸さん 広島県 大崎上島

 

 明さんは、貴重な戦争体験者として かつて鹿児島予科練生の特攻隊として生と死の間に身を置き、造船所で働いていた時代も頭蓋骨陥没という事故にあいながらも生還し、幾度なく死線を越え88歳になった今も、大好きな奥さんと働けることの喜びを豊かなライフスタイルとして僕たちに見せてくれています。

 

藤堂明さん 好江さん 広島県 大崎上島

 

そんな藤堂明さんは、少年のようにビー玉のようなキラキラした目で僕たちに力強くメッセージをくれました。

 

「何があっても人は生きんといかん!」

 

 

 

【執筆者】

松本幸市(まつもとこういち):デザインオフィスふらっとらんど

1985年5月23日大崎上島生まれ。動物占いは黒豹。国立広島商船高専卒業後、事務職、船員、学校職員を経て2013年より独立。大崎上島の限界集落で山尻シェアハウスChikaraを運営、コミュニティをつくることを仕事としている。

FACEBOOK:「松本幸市」または「Matsumoto Koichi」で検索。

問い合わせ:kamizima1985@gmail.com

 

 【写真提供:①枚目と⑤枚目】

福田 千恵美(ふくだちえみ)  カメラマン

秋田生まれ。本年度から広島県広島市に移住。1998年専門学校札幌ビジュアルアーツ写真学科ネイチャー・風景フォト専攻卒業。広島県が行うHAPPYシマすデザインプロジェクトにメンバーとして関わり、平成27年3月19日には大崎上島で写真展を開催する。

 

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