東京女子が豪雪地の限界集落への移住を決めるまで~後編~

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執筆者 福嶋美佳
所 属NPO地域おこし

2017/04/19

 こんにちは。特定非営利活動法人地域おこしの福島美佳です。
 前回につづき、私がなぜ新潟県十日町市池谷集落に移住したのかについて、書いていきたいと思います。

 

(前編のあらすじ)
地方移住が珍しかった頃にも関わらず、次々と若者がやってくる池谷集落に魅力を感じ、東京で働きながら月に一回池谷集落を訪れる生活を始めました。

前回記事:東京女子が豪雪地の限界集落への移住を決めるまで ~前編~

 

池谷集落が自分のアイデンティティーに

 

 2009年11月から、私の池谷集落通いは始まりました。金曜日、スーツケースを持って出勤。18時頃に退社、そのまま東京駅に向かい19時台の上越新幹線に乗り込みます。
 越後湯沢駅でほくほく線に乗り換えて、十日町駅に着くのは21時半ころ。当時池谷集落で農業研修をしていたM山さんに車で迎えにきていただき、十日町駅から車で20~30分で、池谷集落に到着します。
 ボランティアが寝泊まりできる旧池谷分校に到着すると、もうワクワクが止まりません。

 

「今回はどんなことが体験できるだろう。どんな話を村の人から聞けるだろう!」

 

東京育ちっ子の私にとっては、池谷集落で見ること聞くこと体験できること、何もかもが輝いていて、新鮮で、刺激的なものばかりでした。田んぼや畑のお手伝いや、冬季は除雪、時には池谷集落で開催される体験イベントの運営の手伝いなど、色んなことを体験させてもらいました。

 でも、楽しい時間はあっという間。金曜土曜と宿泊し、日曜日の夕方頃に東京への帰途につきます。私は写真が趣味なので、池谷集落では常にデジタル一眼を持ち歩き、とにかく写真を撮りまくっていました。東京に戻ると、その時体験したこと、感じたことを、写真と一緒にブログに書き綴りました。
 池谷集落には、私以外にも大勢のボランティアがイベント等で訪れていましたが、毎月やってくる、でっかいカメラを持った女子は、やっぱり目立ちました。すぐに村の人に顔と名前を覚えてもらい、お宅でお茶をごちそうしてもらったり、仲良くなってくると一緒にお酒を飲んで、泊めさせてもらうこともありました。

 

屋根除雪後

屋根除雪後に、村の人と。

 

 池谷集落に通い続け、ブログで池谷のことを発信し、出会う人には池谷の魅力や楽しさを語り、池谷集落は私にとってなくてはならない、アイデンティティーになっていました。

 

池谷への想いと、東京の仕事への疑問

 

 だんだんと、私は池谷集落への移住を意識するようになりました。それは、「もっと池谷集落の役に立ちたい、東京に住んで通うだけでは物足りない、いっそ住んで地域おこしの活動をしたい」という池谷集落に対しての想いと、東京で仕事を続けることに、漠然とした疑問があったからです。

 2008年に私は、WEBに特化した求人広告会社に新卒で入社しました。半年間営業職を経験したのち、広告制作部に異動し制作事務を担当しました。簡単に言うと、営業がとってきた求人案件をサイトに掲載できるよう、進行管理やシステム管理をするお仕事です。
 基本的には、一日中パソコンに向かい、消費者ともクライアントとも顔を合わせることは全くなく、営業とさえメールや電話でやりとりするので、会う機会はほとんどありません。
 最初のうちは仕事を覚えるのに必死でしたが、仕事に慣れてくると、

 

「自分のこの仕事は、社会のどこにどんな風に役に立っているんだろう?」

 

と疑問を持つようになりました。
 さらに、会社は勢いのあるベンチャー企業で、若い社員が多く、その分、転職などで辞めていく人も多い環境でした。同じ部署の先輩が退職すると、組織としては当たり前のことですが、その人がやっていた仕事は、誰か別の人に引き継がれます。
 そんな様子を見ていたので、

 

「もし私が仕事を辞めても、この仕事は別のだれかがやってくれる。私は替えのきく存在ではないだろうか?」

 

とも感じていました。

 一方、池谷での地域おこしの仕事は社会的意義が高く、そしてなかなか他の人が替わることのできない、私にとって、まさに理想的な仕事でした。
 集落の人から信頼され活動していたM山さん、地域おこし協力隊の多田さんという、少し年上のロールモデル的存在がいたことも、思いを強くする一因でした。

 

「池谷集落に住んで、地域おこしの手伝いをしたい。」

 

 想いは強くなる一方ですが、実際池谷集落に住んでやっていける自信もなく、東京での安定した仕事を捨てる勇気もなくて、ぐずぐずと悩んでいました。

 

村の人と

村の人と、日の出が見える場所で

 

心の中に、答えはあった。

 

 そんな時、2010年の夏ころだったと思いますが、M山さんから電話がかかってきました。

 

「福島さん、池谷への移住に興味があるんですよね? 地域おこし活動の手伝いに対して、月5万円払う目途ができました。池谷分校も改修して、狭いですが住める部屋も作る予定です。なので、移住を検討しませんか?」

 

 今でいう、地方へのお試し移住・インターンシップ制度を、当時任意団体の「十日町市地域おこし実行委員会」が独自で始めることにしたので、池谷のヘビーリピーターだった私に声をかけてくださったのです。このありがたい申し出が、移住に向けて大きな後押しになりました。
 さらに、同時期に池谷通いをしていた女子大生のKちゃんも、大学卒業後の同年3月頃に移住を検討していて、分校で二人暮らしになることも、ずっと実家住まいで一人暮らし経験がなかった私にとって、心強いことでした。それでもやっぱり、移住という決断をするのには3ヶ月かかりました。

 実家を出て、新しい土地で暮らすことへの寂しさ。移住後の将来の不安。上司・先輩・同期に恵まれ、職場の人間関係に不満はありませんでしたし、せっかくの正社員という安定した仕事を辞めることにもためらいがありました。
 悩んで、悩んで、悩んで、悩みきって、ふとあることに気づきました。移住への不安はつきないけれど、私の中に「池谷へ行かない」という選択肢はないんだ、ということ。
 なんだか吹っ切れた私は、池谷集落に移住することを決断しました。両親を説得し、仕事先にも辞意を伝え、2011年4月に池谷集落での生活を始めました。

 移住前の両親の説得や、移住後生活が安定するまでも色々あるんですが、あんまり私の話が長くなってもアレなので、次回は別の話題を書きたいと思います!

 

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