やりたいことがない人
- 執筆者 古川智恵美
- 所 属一般社団法人いなかパイプ
2019/04/04
はじめまして。去年の12月からいなかパイプスタッフに加わりました、古川智恵美と申します。
現在、広島に住みながら、遠隔でいなかパイプの情報発信やら企画やらの仕事をしています。広島ではNPOの事務局のお手伝いもしていて、今のところこの働き方?生き方?をけっこう楽しんでいます。
昨年のゴールデンウィークに訪れた四万十川
そんなわたしですが、いなかパイプに加わるかどうかはとーっても悩みました。元々悩むのが趣味?というくらい考えすぎるところがあり、さらに30歳も過ぎると自分のできること、できないことが段々見えてきて、「その仕事が本当にできるのか」「四万十で暮らせるのか」「そもそもわたしは何がしたいのか」と悶々と悩んでいました。そんな話を延々とレオさん(いなかパイプ代表)に聞いてもらい、最後は「お金が必要だし、とりあえずやってみよう」と決断しました。
わたしの人生、これまで、明確な「これ!」というやりたいことがありませんでした。
就職活動も本当に苦痛で、就職先が決まったのは大学4年生の2月。求人サイトでたまたま見つけた、東京にある新聞広告メインの小さな制作会社に拾ってもらいました。そこで2年が過ぎた頃、会社が業務縮小するということになり退職。都会暮らしの孤独に耐えかね「わたしには東京は大きすぎる。いなかへ行こう」とインターネットで検索し、徳島県上勝町の仕事を見つけて移住しました。
上勝町の風景。人があったかい本当に素敵な町でした
宿泊施設で着地型観光商品の企画の仕事をすることになったのですが、何のノウハウもなかったわたしはすぐに行き詰まり、1年半で上勝を離れました。1年くらいブラブラしていたところに知人から仕事を紹介してもらい、6年前に広島市へ。こんなに広島生活が長くなるとは自分でも驚きです。
というように、人生の柱も軸もなく、その時その時気になった場所へ行って仕事をし、長続きしないということを繰り返し、その間も気分の浮き沈みが激しく、「同じ場所にい続けられない」「がんばれない」「仕事ができない」「モチベーションが保てない」とコンプレックスが積もり積もって行きました。
コンプレックスとの付き合いにも段々疲れ、去年の半ばくらいから「ダメなわたしで生きていく」をキャッチフレーズ(?)に決めました。要は開き直ったんです。できる人になりたかったし、すごい人になりたかったし、がんばれる人になりたかった。でも、その方向では苦しく、のびやかに生きられなかった。
ただ、のびのびと自分の力を発揮して、楽しく、誰かの役に立つような働きがしたい。
いなかパイプで働く前にお手伝いにいった地域仕掛け人市@東京
そんな気持ちで今、いなかパイプのお仕事をさせてもらっています。まだ日が浅いですが、なかなかユニークな会社だな〜と思っていて、そのあたりのことも少しずつお伝えしていけたら…。
最後にイチオシ企画の紹介です。
4月27日(土)〜30日(火)は「しまんと大人の春休み」。
実はわたしが初めて四万十を訪れたのは、この企画の第一弾「しまんと大人の冬休み」でした。クリスマスに一人で四万十へ行き、思いっきり遊んで笑って泣いて、なんとサンタさんからプレゼントまでいただきました(良い思い出です。嬉しかったー!)
この企画の面白さは「とにかく体験してください」としか言えなくて、だからちょっとでも気になったら「ダマされたと思って参加してみて!」と言いたいです。
それではまた〜。