旧高知駅、最後の一日【ドキュメンタリー(前編)】
2012/10/12
「あのボロい建物のどこがいいの?」
と、多くの人は言うだろう。
旧高知駅の話である。
僕も設計士の端くれである。
建築物としてのデザイン性があるわけでもない。
歴史的価値があるわけでもない。
至るところがみすぼらしく傷んでいる。
あの旧高知駅に、
建築としての価値がないことくらいは分かる。
むしろ、
建築家の内藤廣氏が建てた新しい高知駅は、
デザインもカッコよく、
大屋根で覆ってしまうという大胆なアイデアや、
県産材を用いるなどの工夫も凝らし、
田舎の高知の駅にしておくのが勿体ないくらい、
立派な建物である。
(ゴメンナサイ高知の人。)
新しい高知駅が出来てから、
もう4年が経つ。
きっと、
昔のあのオンボロの高知駅の姿なんて、
みんなの記憶からなくなりつつあるだろう。
どうやっても抗(あらが)えないこと、
当時の僕にとっては、
それが高知駅の高架化だった。
僕はどうしても旧高知駅の、
あの雰囲気が好きだった。
あの高知駅を壊すのは勿体ないと本気で思っていた。
「ただの黒田君の変わった好みでしょ。」
と言われてしまいそうだけれど、
高知県民でもない僕が、
ただの古物好きな趣味と、
ノスタルジーで抗っていただけではないのだ。
高知県民にとって、
あの高知駅が持っていた“良さ”を失うことは、
高知らしさを1つ失うことになるんじゃないかと、
僕は真剣に思っていた。
今となってはただの思い出話だが、
昔の高知駅の写真を見て、
「あぁ、懐かしいなぁ」と思いながら、
少しお付き合いしていただきたい・・・。
その日は、
2008年2月25日。
旧高知駅、最後の営業日だ。
僕はその朝、
“最後の日”の、
“最初の電車”を撮るために
朝の5時から高知駅に向かった。
どうしても、
最後の日の朝の表情を写真に撮っておきたかったからだ。
朝の空気は肌寒く、
澄んでいて気持ち良かった。
空気も澄んでいたけれど、
自分の感覚が澄んでいるような感じだった。
「残されたわずかな時間を少しでも味わっていたい。」
「今この時をしっかり心に留めておきたい。」
そんな感覚だ。
「定年退職の日の朝は、こんな気分なんだろうな。」
と、ふと思った。
いつも通り朝の業務が始まっていく。
いつも通りの朝の光景が繰り広げられる。
始発電車は5時27分。
普通「阿波池田」行きだった。
平日の出勤前。
朝っぱらから(スーツ姿で)写真を撮りに来ている変人は、
さすがに僕の他にはいなかった。
つまり、
旧高知駅の最後の一日の、
始まりの光景を記録した写真は、
日本中で僕しか持っていないということだ。
これがもし、
「築150年。伝統ある○○駅の最後の日」
ともなると違うのだろうけど、
中途半端なオンボロ高知駅のファンなんて、
そうそういたものではない。
だから僕一人が見送る中、
始発の電車は、
定刻に、
いつも通り、
出発していった。
写真では伝わらないけど、
「最後の日が始まったんだなぁ・・・。」
と、勝手に一人で感慨無量であった。
そんな僕の感慨をよそに、
朝の駅は少しずつ活気を帯びていく。
2番列車、
3番列車も準備を始める。
ついでに新しい高知駅も。
隣でちゃっかり明日に向けた準備を始めている。
夜も次第に明けてきて、
いよいよ最後の一日が始まる。
感慨に浸ってばかりもいられない。
なぜなら。
今日は週明けの月曜日、平日だからだ。
僕のサラリーマンとしての一日も始めなくてはいけない。
カメラを一旦カバンにしまって、
また夜にここを訪れるまで、しばしのお別れである。
旧高知駅最後の夜は・・・、
次回「後編」に続く・・・。
さてところで、
なぜ僕が旧高知駅に対して、
「壊すのが勿体ない」と思っていたのか?
そのところを少し書きたいと思う。
もちろんただの古物趣味というだけではない。
僕が旧高知駅で最も好きだったところは、
改札の付近の空間だ。
改札を挟んで、
待合室とホームがつながっているため、
“見送る姿”が日常的に見られたことだ。
つまりこういうこと↓↓
汽車に乗って旅立つ相手を、
改札から見送っているこの光景は、
何気ない光景だけど、
とても絵になる光景だと思う。
高知県の中で最も多くの人が利用する「高知駅」。
地元高知の人が、
都会へと赴く子供や孫や恋人を、
どれだけこのような姿で見送ったことだろう。
都会から帰って来る愛しい人を、
どんな気持ちで迎えただろう。
どれだけの想い出がこの場所に蓄積されていただろう。
改札を挟んだたったこれだけの距離で対面できる、
こんな気の利いた空間は、
何気ないけどとても大切な時間を作ってくれる。
当然上の写真のように、
子供たちにとっても、
ここは好奇心を満たす貴重な空間なのだ。
そもそもこの改札は機械の自動改札ではなく、
駅員さんが一人一人と接する手改札だ。
高知県の玄関口として、
最初に高知駅に降り立つという旅行者も多いことだろう。
もし高知県が観光ということを重視するのであれば、
都会ではもはや絶滅してしまった手改札を、
「田舎のあたたかさ」として保存しておくことは、
価値のあることではなかったかと思う。
「え?高知は県庁所在地の駅がまだ人の手で改札やってるの!?」
という驚きが、
都会の人には旅の驚きとして喜んでもらえたことだろう。
高知県のいいところ。
それは発展から取り残された田舎であるところなのだから。
この改札のもう1ついいところは、
高知の街とそのままつながっていることだ。
汽車を降りたら、
改札の向こうにはすぐ路面電車が見え、
その向こうには真っ直ぐ駅前の大通りが、
ずっと向こうまで見渡せる。
ただ単に駅の改札と言うだけでなく、
まるでこの改札が高知の入場ゲートのような感じで、
僕はとても味わいを感じて好きだった。
駅というのは多くの人の人生のターニングポイントだ。
ここから何かが始まり、
ここからに帰ってくる場所だ。
だからこそ、
多くの人の感情や想い出が蓄積する場だと思う。
都会の通勤で使う駅ならば、
効率や使い勝手が一番大事かもしれないが、
田舎の駅、
高知の駅は、
もっと人間的な味のある、
人生を豊かにしてくれる駅であって欲しいと思う。
そもそも、
街のど真ん中に位置する高知駅にとって、
駅前の再開発や、
渋滞解消のための高架化は、
避けては通れないことだ。
よって、
僕一人が抗うようなレベルの話ではない。
でも、
目に見えずひっそりと失われた、
旧高知駅の良さを、
「勿体ないなぁ。」
と、思わずにはいられないのである。
~後編につづく~
(おまけ)
いつも「みまき自然の学校」のネタで、
子供たちの遊ぶ姿を書いている僕が、
なぜ4年も前の旧高知駅の話題を急に書いたのか!?
その真相は、
別の話題の記事を途中まで書いていたのだけれど、
執筆途中にパソコンがいきなりフリーズ。
そのまま再起動するも、
再び起き上がることなく・・・。
代理で先代のパソコンを引っ張り出してきて、
何とか記事は書けるようになったのだけど、
壊れたパソコンに入っていた書きかけの記事どころか、
書く予定だった記事の写真データも取り出すことが出来ず。
ネタすら手元からなくなってしまった・・・。
最悪の状態・・・。
そんなとき、
古いパソコンに消さずに残っていた、
「旧高知駅」というフォルダを偶然発見。
実はこのフォルダ、
僕が高知駅の建て替えを知ってから、
1年間にわたって撮り貯めた高知駅の写真が山ほど入っていて、
あまりの写真の多さと、
主題のネタの大きさに、
「いつかまとめなくては!」と思いながら、
ずっと手を掛けられぬまま放置されていた、
秘蔵っ子なのである。
これしかネタはないし、
写真もこれしかないし、
もはや、
「この記事を世に出しなさい!」
と言わんばかりのシチュエーションだったので、
一念発起でこのネタに手をかけることにしたというのが、
真相なのである。
「パソコンが故障したのもきっとそのための必然に違いない!」と、
自分に言い聞かせながらの執筆なのであった。