地域おこし協力隊が直していた炭窯はどうなった?
2016/01/22
- 執筆者 石田朋久
- 所 属四万十町地域おこし協力隊
皆様、新年あけましておめでとうございます。毎月欠かさずいなかマガジンを掲載していただく連続記録更新中の四万十町地域おこし協力隊石田です。本年も宜しくお願い致します。
昨年の2月から3ヶ月にわたって「地域おこし協力隊は地域に眠る炭窯を再稼働させることができるか?」というお話をいなかマガジンに掲載していただきました。しかしその後は海・山・川などの記事ばかりで炭窯の事は忘れ去られてしまったかのような状況になっていました。
いつも見ていただいている方の中には「あの炭窯はどうなったの?」と気になっている人も居たかもしれません。決して放置していたわけではありませんけれど、修復のペースがゆっくり過ぎて1ヶ月分の原稿を書くだけの進展が無かったというのが実情なのです。
上の写真は炭窯の中から撮影したものです。長年放置されていた窯の内部は少し壁が崩れ落ちている部分もあって、赤土で修復しないといけません。その作業で中に入った時に撮影しました。
そしてこの窯の修復が終わって、壁に塗った赤土が乾けば炭を焼くことができます。地元の皆さんや、西土佐の地域おこし協力隊園木さんとそのお仲間の方達のおかげでやっとここまでこれました。
一度落ちた屋根を直したところまではこれまでにも載せていますので、それからこの窯の中を修復するまでの動きを簡単に紹介させていただきます。
橋を直した
この窯は川の横にあります。車が通れる道路からは川を挟んだ向こう岸になります。なので橋が架けられていたのですが、長年放置していた木製の橋は所々朽ちており、そこを通ると板を踏み抜いて怪我をするか、最悪、川に落ちてしまうかもしれないといった危険な状態でした。
橋を直すといっても、屋根の時と同じく自分は経験も知識も持ち合わせておりませんのでまず、H鋼と鉄板を使った丈夫な橋を建設屋さんで架けてもらうといくらになるのか?見積もりを出していただきましたが、とても協力隊の予算を使ってどうこうできる額ではありませんでした。
となると、やはり自分達でなんとかしないといけないので、窯の持ち主の方に修復方法を相談してみたりしていたら、西土佐の方達が古い橋を崩して、使える丸太は残して、使えない丸太を新しく伐り出した丸太と取り換える作業までやってくれていたので大変助かりました。
ここまでやってもらえたら、後はやり方を教わりながらなんとか仕上げられそうなので、役場の職員の方と一緒に横木を並べていきます。この横木は丸太を半分に割ったもので、並べていくと橋の半分ぐらいしか無かったので足りない分だけを製材所で購入しました。
丸太の所はデコボコしているので小石や砂利で隙間を埋めて、上面を土で覆って平らにします。そのままだと橋の端からこぼれ落ちるので、土止め用の細い丸太を縁に設置しました。
最後に、綺麗に土を敷いて均していけば完成ということで、安全に渡れる橋が出来上がりました。
炭焼き職人を募集することになった
この炭窯を修復して使えるようになった後、誰がどうやって運用していくのか?
この問題についてはちょうど1年前にこのいなかマガジンで自分の考えを書かせていただきました。
その記事の中で「今までに話を聞かせてもらった移住希望者や、都会に出た四万十町出身者が、Uターンしたくても仕事が無いから戻れないと諦めている人が多く居たので、この土地でしかできないような仕事を選択肢の一つとして用意できれば、何人かが移住定住を考えてくれるのではないかと思っています。」と、少し強引に訴えてみたところ、これを見たからなのかどうなのかは判りませんが四万十町が地域おこし協力隊として炭焼き職人を募集することになったのです。
この修復中の窯の使い道が決まり、炭焼きを指導していただく方も決まり、室戸市まで行って研修を受け入れてくれるかどうか確認もさせていただき、受け入れ態勢は整いました。
かなりきつい仕事なので簡単に決意することはできないかもしれません。でも、地域おこし協力隊として始められるのは凄いチャンスだと思いますよ。3年間は給料も貰えるし、研修を受ける費用や炭焼きに関する器材を揃えるのにもある程度は予算を使うこともできます。もし焼く時に失敗して、炭が全部灰になってしまったとしても給料は貰えるのだから生活には困りません。
この協力隊に求められる事は、体力とか器用さももちろん必要なことだと思いますが、それよりもうまく人付き合いができるかどうかという点の方が大事な要素だと思います。うまく地域に溶け込んで、地元のおんちゃんから「うちの山の木やったらなんぼでも伐って焼いてもええぞ」と言ってもらえるぐらいになれる人材が求められるのではないでしょうか。