ちょっとだけでいい。何かという存在

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執筆者 山本卓
所 属さが100編集部

2021/07/08

 たとえば、毎日の通勤に使う地下鉄は、確実に目的地へと運んではくれるが、窓から映る景色も変わらず、刺激的ではないのではないか。

 でも、同じ地下鉄でも、時間をずらして乗ってみたり、吊革広告を見たり、好きな読書をしたりと。ちょっとの変化で、感じるものが変わる。

 

---現状を変えたい。でも何をすればいいのかわからない。

 生きていく中で、現れる絶対的な不安ってやつが「何か」という存在だ。
 日々仕事に追われ心身体疲れ切り、漠然と押し寄せる「何か」。

 目標としていたことが突然失われ、手のひらから溢れ落ち、残された「何か」。

 『何か…ってなんて嫌い』

 

 地下鉄に乗り込み、誰もいない車内を見渡す。何気なく席に座ると、横に座ってくる「何か」。特に何かしてくるわけでもなく、ただただジメっと横に座っている。

「なんだよコイツ、他の席空いてるならどっか行けよ」

嫌悪感から苛立ち始める。

 

 窓に映る自分の姿はどうだ?

 気持ちのいい晴れ晴れとした顔はしていないんじゃないだろうか。嫌いな自分が存在し始める。このまま「何か」の横に座り続けて目的地で下車。その日ドヨーンと落ちた気分のまま過ごす1日は面白いだろうか。

 だから「何か」を変えたければ「ちょっと」でいい。

 座席を立って、吊革広告でも眺めるだけのちょっと。新しい発見があるかもしれない。その内容を会社で話して笑い合えるかもしれない。その日の気分はどうだい??

『面白そうに変わった』

ちょっとしたことが1日を変えてくれる。だから思う。

 

---現状を変えたい。でも何をすればいいのかわからない。

 なら

『日常生活の中でちょっとだけ変えてみる』

 ちょっと変えるだけで、1年後劇的に環境が変わることだってある。意外と不安という「何か」ってやつは、自分を変えるための大切な存在なのではないだろうか。ジメって横に座る「何か」は、もしかしたら、こう言おうとしてるのか?

『だから、無理しないで。』

ってジメっとしていた訳じゃない。

 

 側に寄り添い、一緒に泣いてくれていたのかもしれない。一発逆転のタイミングを見極めて、リング傍から指示をくれてるセコンドのように。

 時には厳しく、時には泣いて、「何か」なりの応援だったのかもしれない。案外、いいやつだ。

 

音無テラス

 

 音無テラスプロジェクトが産声を上げて10ヶ月。始まりは不安でした。地方移住という電車にちょっと乗り込み、地域活性という目的地に向け走り始める。たくさんの面白いことが過ぎていく。

 

 しかし、途中から乗車してくる漠然とした不安。

 そんなの時ちょっとだけ。ちょっとだけ動いてみた。

 10ヶ月後。どうなったと思います?

 佐賀が好きだから自分のできることをやりたいと思う。地域活性という目的地へ。

 

佐賀の景色

 

 私山本卓は現在「二拠点生活の拠点づくり」としてシェアオフィス・コワーキングスペースの音無テラスプロジェクトを進行中です。

 プロジェクトが産声を上げて10ヶ月。始まりは不安でした。地方移住という電車にちょっと乗り込み、地域活性という目的地に向け走り始める。たくさんの面白いことが過ぎていく。

 来年の4月グランドオープンを目指してプロジェクトは進行しております。2拠点生活の拠点「音無テラス」プロジェクトは、これからもっと面白いことになりそうです。

 ご興味ある方は是非コメントください。一緒に面白いことやりましょう。

 

音無テラス設計図

 

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