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いなかインターンシップ

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漁師文化を残したい

田中鮮魚店代表 田中博明さん

田中鮮魚店
代表 田中隆博さん

ある人のお話を聞いていて「高知といえばカツオ、その高知の中でも一番うまいカツオを食べさせてくれる魚屋、すなわち日本一うまいカツオを食させる魚屋がある」と聞き、ちょっと無理があるような言い回しだなと思っていた矢先、なんとその魚屋さんでカツオを食べることに。 「お前らせっかく来たなら食ってけ!」と出されたカツオのたたきを食べた時、「世の中にこんなうまいものがあるのか・・・」と涙がでた。これは本当に日本一じゃないかと今ではもう大ファンだ。 その美味しいカツオを食べさせてくれるのが高知の中土佐町久礼大正市場にある田中鮮魚店。しかも田中鮮魚店は美味しいだけじゃない、買うのも行くのも楽しい。 地域全体で作ったレトロな昭和をイメージした市場。文化的景観100選にも選ばれた美しい町並み。路上では魚を切るおんちゃんが、お店にはおばちゃんたちが、切り盛りして、男のダミ声が響くような感じの市場とはちょっと違った佇まいがあります。 もちろん休日となれば大勢の人で賑わいます。そんな漁師町で超人気魚屋を切り盛りする田中鮮魚店の大将・田中隆博さんにお話を伺いました。

命がけで遊ぶ漁師町の子供達!

田中さんは実はずっと魚屋さんをやっていたわけではなく、高校卒業後、名門・慶應義塾大学に進学し、その後、商社に入社し海外で働いていたそうです。田中さんはとにかく話しが面白く、話せば話すほどどんどん田中さんの魅力に引き込まれていきます。「大将ついていきます!」と思わず言いたくなるようなスケールのでかい知的な海の男。

- 久礼の漁師町はどんなところなんですか? 漁師の子供は度胸がある奴が多くて、台風の時、高校生4人が堤防で大波があるにも関わらず海の中に飛び込んだのを幼い時に見ていてね。4人の中で2人は多分入りたくはなかったとは思うのだけど(笑)。ここは漁師町だから度胸試しで、命をかけて海に飛び込んでいく。とにかく漁師の人は喧嘩が好きで勝負心が半端じゃない。祭りになれば喧嘩、包丁をだして睨み合っていたことなんかもあった。「もう一回言ってみ~~~」って叫んでるんだよ。だけど冷静なところもあって、やり過ぎたらあかんとわかってる。だけどここで引いたらなめられる。ここでなめられたら駄目だと、誰かが止めるまで絶対に下がらない。当時のそんなおんちゃんらあも、今は優しいおじいちゃんになって孫の面倒とかみてる。当時のことがウソのようや。 とにかく、そんな世界だったんだよ、この町は。度胸試しについていけないとバカにされるんだ、漁師町ならではのプライドがあるんだよ。幼いながらそれを見ていて、俺も高校生になったら喧嘩して命がけで漁師町の人間としてプライドを持って生きて行かないと思うと憂鬱でね(笑)。だからその後、中学から少し離れた寮で生活をすることになった時はほっとしたよ、寮のいじめなんかへっちゃらだったね、死ぬことはないから(笑)

勝負心が強い漁師の文化!俺はそれを残したい。

- 漁師になろうと思ったことはないのですか? 俺、海こわいもん。台風の時に堤防で度胸試しをしながら遊んでいたら大波が来て流されて、2回くらい子供の時に海で死にそうになって、たまたま、杭に引っかかって生きのびた。ラッキーだったね。もう本当に子供心ながらに命がいくつあっても足りない!この町で暮らすのは大変だぞと思ってた(笑)。 それに漁師は本当に勝負が好き。今時、なんで網でとらないで一本釣りにこだわるのかというとそこには勝負心があるから。網でたくさん取るんじゃなくて自分一人が他のやつよりどれだけ多く釣るか、カッコ良く釣れるかが漁師の世界。網で簡単にたくさんとれば楽なんだけどね。 だからカツオの一本釣りの文化が残っているんじゃないかな。お金よりも勝ち負けにこだわるのが漁師。でもそれってカッコイイでしょ。もうそんな文化は残っているところは少ないし、その生き方は尊敬もしている。だからそんな文化も残していきたいんだ。 それに俺も「たかが魚屋」と呼ばれるのは嫌だった。せめて漁師が釣った美味い魚を売ることで少しでも認めてもらいたいという気持ちもあるんだ。

軍隊が北京で市民を鎮圧している時、20代で300人の部下と手袋を作っていた

- 高校卒業後、慶應義塾大学に進学して、商社に入社されたということですが その商社の社長がすごい人でね。カバンひとつでウォールマートとかニューヨークを一人で歩きまわってどんどんものを売っていくんだ。凄い面白い人ですごいパワフル、そんな人だから使える人しかその会社には残っていけなかった。 最初に韓国に研修に行って、ちょうど物価が高くなって中国に工場を移転した。その当時、中国は非開放地区というのがあって外国人は勝手に自由に歩き回ることはできなかった。だからその会社の工場も畑のど真ん中にポツンとあって刑務所みたいに柵で囲まれてた。そんなところだから上司も逃げちゃって。そこに上から「田中君!君なら出来る」と23歳で行っていきなり、300人の中国人の工員を日本人3人で指揮することになった。ちなみにその3人もみんな20代(笑)。 ちょうど天安門事件があったくらいで市民を鎮圧している時に俺らは中国の荒野で手袋づくりの指揮をしてた。 その当時は雇った中国人をやめさせることが法律上できなかったんだ。だから中国人が全然仕事をしない(笑)。9時に来て雑談して、ちょっと仕事やって、飯食って16時には帰る準備を始めるような感じでどうしようもなかった。300人対3人。文化も違うし、考え方も違う。おまけに監獄のような立地、みんな助けに来た他の社員もすぐにノイローゼみたいになって帰っちゃったよ。 でもちょうど法律が3年後に変わって解雇権が与えられるようになった。上層部に懇願して100人をクビにしてもらったんだ。工場も赤字続きでどうなるか分からない状態。そしたらみんな働き出してね、凄い現金な民族だよね。でも、あまり義理人情とかない文化だから、「冷蔵庫」欲しいか?「アイロン」欲しいか?と聞いて物欲をかきたてて生産性を上げていった。 そしたら4年目から黒字になった。結局、文化も考え方も違うけど欲望というところだけは一致することに気がついたんだ。 元々いろんなことをやってみたいと思っていたし、サラリーマンって社長に尽くしていって社長の夢を補佐していくことだと思う。だけど俺はそういうタイプではないから自分のやりたいことをやってみたかったんだ。それで元々親父が魚屋をやってたから30歳で戻ってきた。親父はこれでもかというくらいすごい働いていたし、口癖のように「鶏口となるも 牛後となるなかれ」とよく言われていたのもあったからね。 *「鶏口となるも 牛後となるなかれ」 大きな団体で人のしりについているよりも、小さな団体でも頭(かしら)になるほうがよい という意味のことわざ

失敗と成功、「地産地消」「産地直送」魚の流通に挑む!

- 魚屋に転職した当時はどうだったんですか? やっぱりすぐに出来るようなものじゃない。10年くらいは技術をつけて行かないといけない世界かな。最初はもちろんうまく魚もさばけなかった。出来ることもなかったから暇だったかな。そんな時に親父について市場に行って見てたら、海から上がった魚をちょこっと魚屋が買って、後は売り手がつかなくて、同じ魚でもどんどん値段が下がっていく。余ったのは県外に安く出荷する。そんなんだから漁師も怒るわな。だから、その売り手の付かない魚を一気に買い取って箱詰めして、サニーマート(高知の大型スーパー)とか小売の販売先を回ってみた。今で言う「地産地消」、魚の産地直送みたいなもんかな。 俺は「日当と交通費以外はいらないから、そのかわり必ず久礼のカツオという大きな看板をつけて売ってくれ」という条件で販売していた。それまでずっと50年くらい変らなかった魚の流通が、ちょうど変わる時だった。 そして一年後、同じようなことをするサニーマートの水産部門の会社ができて、俺の仕事が少なくなっちゃた(笑)。

- もうその当時から商売の才能はあったんですね。 ちょうどその時、明神水産(高知では有名なカツオ通販の水産業者)の明神さんも同じく久礼の市場でぼ~と見てた。当時は「冷凍のカツオがまったく売れんわ」と言って、生のカツオを箱詰めする仕事をしてたよ。その数年後、明神さんは、カツオの藁焼たたきの販売が大ヒットして億万長者になってた(笑)。それを見て「なんだよ、俺も出来るぞ」って(笑)。まあ、明神さんほどたくさん売る気はないけど、マイペースでやり始めた。 いろんな経験の中で上手くいかなかったこともいろいろある。流通の勉強もしたいという思いがあって、今度は別のスーパーのサンシャイン(高知の大型スーパー)の鮮魚コーナーで販売を始めた。気楽に始めたものの、約6年間赤字続きで、意地になって必死でやってたけど、上手くいかなくて。家族に「体壊してまでやることかえ?あきらめたら?」と言われて、事業に見切りをつけてたよ。 そんなことでそろそろゆっくり魚屋やろうかなと思った矢先、急激に漁師町が他のいなかと同じように衰退していったんだ。このままだと町がなくなるぞと思って、子供がこの町で生活していける町にしたいと思い始めた。それで先ずは町のことを知らないといけないと思って商工会に入って先輩や知人を回って色んな話を聞きに行った。飲んでほとんど帰ってこなかったから嫁に凄い怒られた(笑)。 そんな時に*四万十ドラマの畦地と出会って「田中さん、久礼はこんなに資源が豊富なのに地域で何かやっていかないともったいないですよ」と言われた。畦地が、あの田舎で頑張ってやってるのに俺らが出来ない訳がない!とライバル心もあったし、先にやっている事例があったからみんなやる気になっていった。 それで*企画・ど久礼もん企業組合ができた。多分その出会いがなければここまで会社にしたりすることはなかったし、俺が声をかけただけではここまで大きくやることはなかったんじゃないかな。 *企画・ど久礼もん企業組合・・・久礼の4事業者が集まり、カツオを中心とした海産物を商品化し販路拡大を行い、観光開発・人材育成にも力を入れている。また、イベントや商店街の地域づくりにも携わり、全国から注目を浴びている。 *株式会社四万十ドラマ・・・四万十川中流域にある地域産品を商品開発し、全国へ販売する地域商社。

人材育成が面白い

- 地域をあげて、目下、事業展開中!ですね 今は、商品開発はもちろん、人材育成が面白いなと思っている。ビジネスは数字という目標があって堅実にやっていく。楽しみはノルマを達成すること。人材育成は、特に決まったセオリーがないし、やりながら化学反応していくみたいで何が起こるかわからない楽しみ!みたいなのがあるね。それに漁師が食える、若い漁師がいる町にしていきたい。漁師さんと一緒に会社を作って、漁師が釣ってきた魚を俺が売っていくような会社が理想かな。けど漁師は1匹狼的な人も多いから難しいね(笑) それと漁業も田舎もそうなんだけど、生きるための技術がお金を作る技術になってしまった。お金の価値が高くなり過ぎたということでもあるけど。ほんと魚がお金に見えている状態。昔はただの食べ物だったはずで魚は生きるためのものだった。 田舎では、自分で作ったり獲ってきたりして生きていくことができるはずなんだけど、魚は干物にしたり、あの魚はあの辺にたくさんいて、いつ獲れて、どうやって獲るかっていう生きる技術みたいのがどんどんなくなってきている。 今はこの漁師町でお金がなくても生きていくことが出来る技術がある人がどれだけいるかな。 お金だけにとらわれて生きていく人生じゃつまらないね。都会じゃお金がないと死ぬかもしれないけど、田舎はそうじゃない。魚屋だって元々は生きるための技術だった。タタキのように美味しく食べる方法だったり、干物は保存したりする技術だしね。 田舎で幸せに生きていくための技術なのかもしれない。今後、田舎はお金がない貧しい世の中になった時にでも、幸せに生きていける場所かもしれないね。 そんな話を家族にしたら「アホか」って言われたけど(笑)

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知力 体力 気力を全部使って体当たりするするくらいじゃないとやっていけない。特に体力!知力だけでもダメ。壁にぶちあたっても乗り越える気力も必要。自然相手と戦う体力、気力を持つ心構えがある人。

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